エビデンスに基づく医療(EBM)がどのようなものか前回のコラムでご理解頂けたと思います。それでは診療はすべてEBMに則って行わなければならないのでしょうか?答えはNoです。EBMはあくまで診療を行う上での指針となることは間違いありませんが、EBMがそのまま適用できるのはその疾患の典型的な患者さんです。以前、循環器診療の世界で大変センセーショナルな大規模試験の結果が得られました。COURAGEトライアルという試験です。十分な薬物療法を受けている安定型狭心症(冠動脈に狭窄病変があり胸痛も起こすが、狭窄病変が進行性では無く心筋梗塞へ移行する可能性が低い安定した狭心症)患者に対してカテーテル治療(PCI:ステント挿入術)はしてもしなくても予後は変わらない、と言う結果が出たからです。PCIの専門医たちはこぞってこの結果を批判しました。なぜなら自分たちのやっている治療が否定されたと感じたからです。このエビデンスに基づく治療を実践しようとすると、安定型狭心症の患者さんは侵襲性があり且つ医療費もかかるPCIは行わない方が良いということになります。それではこの結論は正しいのでしょうか?実はこれがEBMの盲点です。研究結果で重要なのは結果の解釈です。その後、別の論文で(COURAGEトライアルサブ解析)、この研究のPCIを行った群をさらに高度の心筋虚血を伴っていた症例とそうでない症例に分けて予後の解析をしたところ、高度虚血群ではPCIによる予後の改善(心事故や死亡の回避)が得られたのです。つまりこのトライアルの正しい解釈は、PCIを行った群の中に予後改善の有効例と無効例があり、平均化すると行わない例と変わらない。しかし高度の虚血を伴う場合にはPCIが予後改善に有効である、ということです。このCOURAGEトライアルについては別の機会にさらに解説したいと思います。
一般にEBMの元になる研究は大規模研究が多く、あくまで対象例のマジョリティーが当てはまるエビデンスといってよいでしょう。それ故にマイノリティーが無視される傾向にあります。合併症の多い患者さんや超高齢者なども研究から除外されており、EBMを実践する場合には個々の患者さんの事情をよく考慮して治療を選択する必要があります。
また、医学は進歩していますからEBMも時代とともに変わってきます。癌治療を例にとると、エビデンスに基づく標準的治療がガイドラインに紹介されていますが、近年個々の癌細胞のゲノム解析結果から治療法を決める動きがあり、個別化医療が進んでいくと思われます。それに伴い治療ガイドラインも今後変わっていくでしょう。
次回は「狭心症と虚血性心疾患」です。
文献)
1.Boden WE, et al. Optimal medical therapy with or without PCI for stable coronary disease.N Engl J Med. 356(15):1503-16. 2007
2.Shaw, L. J. et al. Optimal medical therapy with or without percutaneous coronary intervention to reduce ischemic burden: results from the Clinical Outcomes Utilizing Revascularization and Aggressive Drug Evaluation (COURAGE) trial nuclear substudy. Circulation 2008;117:1283-1291